20220308

日記の作用の一つに、自分が書いた日記を読み返すことで、過去に自分が感じた喜怒哀楽をなぞることができるということがあると思う。先週末に昔からのツレと話が盛り上がらず違和感を感じたことをなぞっていると、前にSさんが「同質的なコミュニティでは問いが立ち上がらない」と話していたことを思い出した。共通の文脈やああ言えばこう言うだろうというデータが蓄積されすぎていて、相手の輪郭をはっきりと掴めていると思っている、思っているというかは思い込んでいるので、問いが立ち上がらない。それ故の心地よさと、それ故の物足りなさが共存する。そして詰まるも詰まらないも責任はフィフティフィフティだ。関係の数だけ関係の形があり、自分の思い込みで型にはめずにバグを起こしながら、その関係を広く深められるといいなと思う。意図的にバグを起こす。

 

毎週届くが読めていなかったkarpusを一気読みして、言葉から温かさが伝染し、バリアに守られているような特別な気持ちになった。こんな言葉を使えるようになったらいいなと見上げると同時に、私にはまだまだ知識が足りず、知識がないと想像力も洞察も持ち得ないと思った。インスタントでファストなインフォメーションをシャワーのように浴び続けていて、ディープにダイブするようにゲットインフォメーションしなければと思ったが、すぐふざけてるようじゃ無理だぞ村上。