20220321

特に予定がなかったのでだらだらする。仕事しなくちゃと思いながら手をつけられず、メリハリのない休日。昨日の話の余韻で心身にずっと悲しさが立ち込めていた。

調べ続けていたマットレスとマクラを意を決して購入。この46,000円は安眠への投資。高い物でも分割払いにすれば手に入るという当たり前だがなぜか不思議に思えるスタイルで買い物。

二度寝をして起きると20時。録り溜めていたテレビ番組を消化する。NHK映像の世紀がやはりおもしろく、「自作のマントの成果を検証するためにエッフェル塔の上から飛び降りた男性」の映像。文字で見ると何をしてるんやと思うけれど、映像で見ると情報量が増えて衝撃を受けた。20世紀の人々の暮らしと今の私の暮らしにはとても差があるようにみえるが、人の喜怒哀楽みたいなものはそんなに差がない気がした。NHKオンデマンドに入りたい。

20220320

お酒が残って頭がうまく働かないまま朝からMTGに出る。火曜はMTGが12個あるので連休中のどこかで準備しなければ終わることを再確認する。

文化村で念願のハッピーアワーを観る。5時間の映画にMを連れてきてしまったので楽しめているかを気にしながら鑑賞。結婚生活への想像がクリアになり、幸せとは何かを考える時間だった。疲労と空腹を抱えて急ぐようにお店に入って、ビールを身体に染み渡らせる。プレゼントをとても喜んでくれて安心した。パートナーに求めることは何か?と聞かれ、最近の私たちについて話をする。仕事に重きのある生活を送るMは自分の外にある考えや出来事に触れることを求め、私は喜怒哀楽を共感しわかり合えることを求める。私たちにとって付き合うという関係性は必ずしも必要ではないということが早い段階でわかってしまって言葉を探しながら涙がこぼれる。増えたり減ったりするビールの横でただただ増えて広がっていく悲しさがあった。

20220319

Mのホワイトデーのお返しを買うために原宿に向かう。お兄さん1人ですか?とAirPodsの外から声がするとホストのスカウトだった。体験入店とか行ったことありますか?と聞かれ、ないですと即答。したことある人どんだけおるんやと思ったけど、二言目ぐらいに聞かれたから彼らにとっては割と当たり前なのかもしれない。体入ショコラと書いてあるアドトラックの体入は体験入店を指していることも初めて知った。東京っぽい出来事で、いいエピソードトークできたわとしめしめと思う。

先週Mと行った化粧品屋さんに1人で行き、先週と同じ店員さんにプレゼントで買おうと思ってと話すと、ものすごく褒めてもらったと同時にものすごく喜んでくれて、商品以外にも気持ちを交換できたいい買い物だった。夜に会うKさんに2万円以下ぐらいで買えるアクセサリーブランドのリストを教えてもらって、検索では見つからないこうしたリストの強力さと、私のためにリストを整理してくれたgiveの精神に本当に感謝だった。買い物に疲れてアキレス腱を伸ばしている人や、座ってマクドを食べている人や、小さな赤ちゃんがお母さんに抱かれながら笑っているのを見て、街のところどころで広がっている生活に温かい気持ちになった。

2人が始めるポッドキャストは本当に聞きたいと思ったし、22年間奈良にいて東京に来たという背景が同じだからかアウトプットの動機にかなり似たものを感じた。MCUの話とお酒が私たちを記憶の彼方に連れていき、かなりアーティスティックな夜になった。期せずしてこれまでずっと話せていなかったことを話すことができて結論は出ていないけどすっきりした。また私たちの人生が交差するときが来るのならば、本当に伝えたいことを言葉にすることを忘れないようにしたい。

20220318

溜め込んだタスクに追われ、新たに追加されたタスクに翻弄された。オンラインでいいのにオフィスで実施するMTGのせいで新橋に向かう。終わりに大社長と上司とタンメンと餃子を食べているときに、お店で流れているラジオにAwitchが出ていて、私だけが気づいている中でタンメンを食べていることがおもしろくて心の中で笑った。タンメンは健康的な二郎系ラーメンという感じでおいしかった。心身ともにぱつぱつだったけど、帰りに駅のサイネージ広告にTを発見して飛び上がるほどにうれしかった。元気をもらった。

20時からバットマンを観る約束をしていたけど到底終わりそうもなく、追い討ちをかけるように先方から電話。泣き言と論点ずらし戦法に疲弊&極度のイライラが生じたまま、一旦諸々を終わらせて21時過ぎに映画館に着いた。後ろの端っこの席はスピーカーの真下で、とてつもない轟音に身体がなくなってしまうと思うほど迫力があった。映画が終わりMにごめんねと伝えた後、お店に入る。仕事の環境が変わって前会ったときと比べるとすっかり元気になったようで安心した。雨で靴がびちょびちょになった。

20220317

昨日の日記を読み返して、おいおい!自己愛自己愛!と思った。些細なことで楽観的になったり悲観的になったりとゆらゆら動く自分。いくら省みても嘆いても変わらない情けないところと、そんな私にあるすてきなところのどっちもを認めてあげる。久しぶりにMTGのない1日でほとんどのタスクを明日やればいいやということにしてだらだらした。そのことが明日の業務過多につながるとはこのときの私は知らなかったのである。(この日記は3/20に書いているから今の私は知っている。)

最近家族との出来事をふとしたきっかけで思い出すことが多く、忘れてしまうのがもったいなく感じてiPhoneに新たなメモを追加して書き留めている。おそらく小学1年生ぐらいのときにお留守番に成功して、お父さんに図書カードをもらったこと。俊平ちょっとおいでと一緒に階段を上がっているときに怒られるのかもと思ってドキドキした。だいたいお父さんに怒られたときはお母さんには怒られなくて、その逆もそうで、きっと知らないところで役割分担していたのだろうと当時は思いつかない裏側に想いを馳せてみる。父の子育ての不器用さと、それを全てカバーする母の圧倒的な子育てスキル。過保護なほどの愛をもらったのに、地元の共同体に窮屈さを感じて両親の元を離れ上京した私。今は定期的に帰省するぐらいしかできていないけれどコロナが終わったら東京を案内したいと思う。

20220316

仕事がゆるやかで、さらばのYouTubeを見たり、カネコアヤノのレコードをかけて小踊りしたり、SNSをぐるぐるしたり、昨日から何も変わらない預金口座を見たりする。

どんなZINEにしようとか、転職するならどんなとこがいいかとか考えていると、自分は薄っぺらのぺらぺらで、自分の身からは何も出てこない人間のように思えてくる。賢い人と話したら賢くなった気がするような典型的な流されタイプ。ミーハーで耳学問でファストな教養ばかり獲得し、それらをパッチワークのように縫い付けて持論にしている。それは持論とさえ言えない下品なもので、共感を得るためのツールのように言葉を使っている。反省。あと自分を責めすぎないでともう1人の自分が言っているのでストップ。

アベンジャーズを観て、興奮そのままに感想を書いて、一息ついたところで家が横に揺れる。地震。机の上でコップに入った水が揺れるのをただ見ていた。揺れが収まるとどっと怖さが襲ってくる。自然の力には決して抗えないという無力感。NHKでは画面に中継と、地域毎の震度を示す地図と、津波到着予想と、手話と、時間が映っていて、この情報過多さから想いを感じて、みんな無事であれと身体にぐっと力を込めた。

20220315

西麻布のおしゃビルのバルコニーを借りて仕事。春の光を浴びながら、手元は忙しなく働いた。その気になれば20分で終わるみたいなタスクにどうも手がつけられず時間を浪費し、すっきりしない。恋愛はタイミングとはよく言われるけど、仕事も生活もすべてタイミング。自分の波長と、相手(ヒトモノコト)の波長が合うときを追いながら待ちながら時間が過ぎていく。帰りに乗ったタクシーの運転手さんの声があまりに大きくてびっくりしたあと笑えた。一本だけビールを飲んで、ベッドに横になっていると23時過ぎには寝落ちしていた。早く寝られるというただそれだけでうれしい。