20220213

1日を通して濃密な対話を繰り返し、脳が溶けかけた今日を記録する。

向かう道のりやあの場所に居心地の良さを感じてきた日記の会合3回目。みなさんから見た私の日記の印象を教えてもらった。Kさんの日記カラー診断は心地よくておもしろかったので続けてほしいと思っている。積極的に自己開示するスタンスはこれまでも変わらないが、昔(昔といってもちょっと前)は自分を知ってほしいという独りよがりな気持ちが大きかったように思う。今はどんどんジャッジしてくれと思っている。自分が認識する自分と、他者が認識する自分との違いがおもしろい。それは過去に比べて、少し自己理解が深まったことと、自己愛がいくらか高まったことで、メタで自分を見れるようになったからかもしれない。今後も自他のあわいをポップに捉えていきたい。

「文章はつらいことの方が書ける。うれしいことや楽しいことを表現する語彙が少ない。」という指摘が興味深かった。それはなぜ世の中に失恋ソングが多いのかという点にも通ずると思う。きっと楽しいことはノンバーバルなものなのではないだろうか。楽しかったときは何を話したか覚えていなかったり、話したことより行間や、その場の空気の心地よさが思い出されることが多い。そして私は、やばい、えぐい、最高などと脳から語彙が吹き飛び、ただ喜びや楽しさに浸かるだけの時間が好きだ。そしてその時間をできるだけ思い出せるように、言葉を紡ぐ行為はとても素敵なことだと思う。

昼から会ったKJとMとの時間はまさにそんな時間で、温泉に入っていたかのように心地よさがあった。久しぶりに会った友人とまったく話が合わなくなって悲しかったというエピソードに端を発する問いと解釈の応酬。それぞれの地平から放たれる言葉たちによって、ミルフィーユのように解釈が積み重なり、理解につながっていく感覚。その中で、過去の私なら飛びついてたなその話みたいなサブジェクトがいくつかあり、人が変わってしまったように感じるときがあった。対話によってそれぞれの行動原理や思考の傾向がわかったような、考えすぎてわからなくなったような時間だった。

KJと駒沢に移動して読書会に参加。この時点で既に脳は溶けかけていた。本を読みながら抱いていた違和感や、自身の過去の経験を通じて感じたことを話し、聞き、アンチレイシズムへの理解を深めることができた。めちゃくちゃトイレに行きたかったけど、この文脈で話したいこと出てきそうという予感で2時間ぐらい我慢することになったし、束の間離れることももったいないと感じる時間だった。失敗を恐れすぎないことの大事さ。21時で一旦締めとなったが、参加した人たちと余韻会話。この時点でほぼ放心状態。雨なのか雪なのかわからない液体が降りしきる道を歩き、足先は冷え切って昨日買ったコートはびしょびしょ。帰宅して、疲れ過ぎてすぐ眠れるかと思いきや、今日耳にしたパンチラインの数々が脳をよぎり、電源オフに時間がかかる。疲労と共に、胸いっぱいに感じる充実感を抱きしめて眠りに落ちた。