20220314

起きたらKさんからメールが届いていて、タイトルが「ワークショップ参加していただきありがとうございました。」でめっちゃKさんだなと思った。

土曜会うときに返さなければならないと思い、定時後にパルプノンフィクションを一気読み。本気出せば1日1冊読めるんじゃん。本気出すというよりは心が本に向いていればって感じだけど。ミシマ社の三島さんが書いた本で、どうやって本が作られて、私たちの手元に届いているのかを知れてタイミングばっちりだった。原点回帰の出版社の経営者として綴られている悩みが今の私に気づきたっぷりでタイミングばっちりだった。読み終えたときにはすっかりミシマ社のファンになっていて、三島さんが魅力たっぷりな人であろうことは大前提だけど、終始人を惹きつける文章に羨望の眼差しという感じ。あと編集者というお仕事ってすてき。

20220313

日記の会合最終回。始まったときはダウンを着ていたけれど、今日はデニムジャケット。季節1つ分みなさんと過ごしたのだなと思う。5回しか会っていないのに一緒に過ごしたと言い切れる感覚がある。日記をつけ始めたとき、本にすることは全然考えていなかったけれど、会えなくなった人へ送る手紙として、近しい友人への近況報告として、私の知らないどこかの誰かに向けたメッセージとして印刷物にしてみたいと思った。思ったはいいが本がどのように出来ているのか全く知らず、ランチのときにSさんが組版という単語を使っていて、初耳すぎてたじろいだ。なおその後に会った友人と話すときに、「なんだっけ、ヤンクミじゃなくて、組版!」とごくせんの主人公の名前が出てきてしまうぐらいに身体に馴染んでいない。本当にできるのか。

日記は編集も文も自分で、どこまでいっても自分ごと。そんな日記だからこそやさしい世界が生まれた。知れば知るほど知りたくなるみなさんとは連絡先を交換し切ることなくお別れをしたけど、まあまたどっかで会えるだろう。自己紹介とか人脈を広げるとか生産性とかと無縁の、ただ日記をつけるという旗のもとに集まったみなさんとの時間はとてつもなく豊かだった。

ZINEのコンセプトがなかなか言葉にできず、頭を悩ませるがこれは必要で重要な時間。Hが持ってるZINEを借りて、重くなったカバンと共に帰路につきながらくるりのジュビリーを聴いて、今の気持ちにぴったりじゃんと思った。

20220312

寝不足の状態でMと12時に渋谷で待ち合わせ。仕事の野暮用があって会社に立ち寄る。こういうとき会社の近くに住んでてよかったと思う。ヒートテックを着ていないのに汗をかくほどぽかぽかした日で、国連大学前のマルシェで売っていたビールを買って多幸感に包まれた。Mが友だちの誕生日プレゼントを買いたいということで青山から原宿あたりをお散歩。途中岡本太郎記念館に立ち寄って、マルセルモースに師事し民族学を学んだ彼の視点とその作品のインパクトを味わい、壁に書かれた「誤解される人間の姿は美しい」という文字を見て、岡本太郎パンチラインメーカーぶりを確認した。

昨日仕事で会った資本主義の覇者に感じた欺瞞を発端に話をしたけれど、持論を固辞する故に話が広がりも深まりもせずしんどくなったのでその話をやめた。そしてくだらない話をだらだらとする。最近はわかりあえなさから目をそらすために、意識的にくだらない話をする方向へ持っていっている気がする。本音を隠して、衝突を避けることだけが上手くなっている。

20220311

毎年この日はMake a Wishを聴く。この曲を作るためにELLEGARDENというバンドがあったと思いますと、まだ復活の朗報も予兆もなかった2017年の3月11日に細美さんが言っていたことを思い出す。自分を知っている人といるときは強気で軽率だけど、1人のときは内気で慎重な私が東北に行かなければいけないと思うようになったのは東北ライブハウス大作戦の影響によるもの。せっかくの一人旅ならばと大学生らしい意気込みでヒッチハイクで東北に向かい、人の温かさを受け取って到着した東北で見た景色は今も脳裏に焼き付いている。過去にしないようにMake a Wishを聴く。

金曜だというのに眠れず、何をする気力もないのでTikTokで流れてくるラップバトルとお笑いとワンピースの考察を見て脱力感に浸った。

20220310

忙しい。やることがひたすらに多いタイプの忙しさ。四方八方から連絡がきて四方八方にさばくと、六方十方から連絡がくるという感じで雪だるま式に増えていって、忙しいなあとひたすらに思いながら忙しさを過ごした。

仕事の合間に見るSNSやニュースサイトからはロシアとウクライナの情勢が耐えず流れてくる。平和とは何かを考えなければいけない。偏向した報道に気づかず、知らぬ間に何かに加担してしまっていること。構造に取り込まれていること。何も知らずにいることが平和ではないことは確かだ。こういう抽象的な話ばかりになってしまうのは私の悪い癖の一つだと思う。兄と私と弟の名前の漢字を一文字ずつ取ると、泰平と平和になるように名づけたとお母さんが言っていたことを思い出す。学び続ける他ない。

20220309

人の金で食う飯はうまいの意味がわからん。自分の金で食う飯と、おかんが作ってくれる飯が一番うまいぞ。起きてから右肩が痛くて、キーボードを叩きながら痛っとなった。背中が痛くなったり、肩が痛くなったり、この諸悪の根源はベッドにある気がしてきた。高くて良いマットレスをください。または身体の不調があったときに駆けつけると治してくれる整骨院を教えてください。お手すきの際によろしくお願いします。

コンビニで買ったチキン南蛮弁当をぺろっと食べた後、横になってしばし休憩と思っていると眠くなってきて、30分後にアラームをセットして目を閉じて起きると23時半。3時間経っていた。なぜ。溜まっていた疲れにチキン南蛮弁当のタンパク質が眠りを処方したのだろう。もちろん深夜まで寝付けず、世界で起きているのは自分だけのような気がした。ふと頭と心と身体の関係を考えていると、チャットモンチーにそんな名前の曲があったなと思って聞いてみるとほぼ答えが載っていた。「こころ あなたに教えたいのはアクセルとブレーキのバランス」。イエス

20220308

日記の作用の一つに、自分が書いた日記を読み返すことで、過去に自分が感じた喜怒哀楽をなぞることができるということがあると思う。先週末に昔からのツレと話が盛り上がらず違和感を感じたことをなぞっていると、前にSさんが「同質的なコミュニティでは問いが立ち上がらない」と話していたことを思い出した。共通の文脈やああ言えばこう言うだろうというデータが蓄積されすぎていて、相手の輪郭をはっきりと掴めていると思っている、思っているというかは思い込んでいるので、問いが立ち上がらない。それ故の心地よさと、それ故の物足りなさが共存する。そして詰まるも詰まらないも責任はフィフティフィフティだ。関係の数だけ関係の形があり、自分の思い込みで型にはめずにバグを起こしながら、その関係を広く深められるといいなと思う。意図的にバグを起こす。

 

毎週届くが読めていなかったkarpusを一気読みして、言葉から温かさが伝染し、バリアに守られているような特別な気持ちになった。こんな言葉を使えるようになったらいいなと見上げると同時に、私にはまだまだ知識が足りず、知識がないと想像力も洞察も持ち得ないと思った。インスタントでファストなインフォメーションをシャワーのように浴び続けていて、ディープにダイブするようにゲットインフォメーションしなければと思ったが、すぐふざけてるようじゃ無理だぞ村上。