20220307

先週は月曜はふわふわするとか書いていたが、10:00から忙しすぎて強制オン。先週まではだらけられる余裕があっただけという事実が発覚。本日もMTG過多。RとLINEしていると「大事なことはさらっと言った方がいいよね」と言っていて、確かに今から大事なこと言います感とか、大事っぽいこと言ってる感ある言葉は残らないなと思ったので、今後はパンチラインを忍ばせていくことを心がける。

定時後は無力感に苛まれて身体が停止オンザベッド。1月1日からの日記を見返していると、前半は説明的で違和感があったけど、日が経つにつれて馴染む文章がちらほら出てきた。ただ一貫して維持されているムードのようなものがあり、それが自分の癖なのかと思いつつ、この半クローズド日記に書くことは割と無意識に決めているのかもしれないと思った。あるいはらしさに囚われているとも言えるかも。言葉を書けるようになりたいというきっかけがあって日記をつけ始めたが、目にする文章のワードチョイスや語尾などを気にし、自分の文章と照らし合わせてみたりするようになり、日記をつけることは私にとって新しい視点を与えたと思う。

20220306

銀座線の銀座駅を出てから、今日東京マラソンがあることを知った。走り去っていく選手たちのあまりの速さに驚いた。大社長御用達のBEAMSでスーツを見て、思ったより高かったけれど、日割りにしたらうんぬんという考えに基づき買った。その後、大社長御用達の鮨屋でお昼を食べた。昨日反戦デモに行ったという話をした。帰り際、大社長がトイレに行ったときにお店の大将が話しかけてくれて、ほんの少しの会話だったけど心が近くなった気がした。

 

一時帰宅してから大船に向かう。車中では暇と退屈の倫理学を読み進める。到着して、俺お腹空いてないからなんでもええでと言っていたが、入った王将でほぼ通常通り食べた。ビールと中華の相性の良さは満腹を無効化する。

 

そのままHさんの家に行ってR-1を観ながらだらだらする。話が弾まない実感があり、毎日会っても話すことやふざけることが尽きなかったあの頃がある分、少し寂しかった。まだ冬だったことを思い出させる寒さに肩を小さくしながら帰路に着く。別れのときが近づいている気がしている。人生の登場人物が入れ替わる気がするともいえる。それぞれの変わらなさが面白くもあり、停滞しているように感じて嘆かわしくもある。そういうことを感じやすいフェーズなだけで別れは来ないし、来させるつもりもないが、違和感を無視することもしたくない。

 

人生で一番好きになった人が最近心にいる。今日もそのときの話をしたからか、寝る前に思い出してしまう。身に余る喜びと、耐えきれないつらさが同居した恋だった。いつも大事なことが言えなくて、関係を発展させることができなくて、色々込み込みの後悔が残っているのかもしれない。その人にパートナーが出来たのかだけがずっと気になっている。それを聞けば、時々心に訪れるその人をしっかり跳ね除けて、未練がましい気持ちに終止符を打てる気がするから。今ある幸せに目を向けず、過去ばかり振り返ってしまう自分はだめな人間だと思う。けれど思ってしまうことは仕方ないとも思っている。日記であれ外に出した時点で私の中では罪悪ポイントが付与される行為を今しているけど書き捨てることにつながってほしいと願う。旅の恥はかき捨て。スーツを買いに行ったことがかなり前のことのように感じる日だった。

20220305

Mの迷言のセンスが開花してきている。前好きって言ってたバンドなんだっけ、モリゴランドみたいなやつ、と言われたバンドがandymoriだった。どんな覚え方してんねん。黄色い蝶を見て、モンキロチョウがいると言っていたがそれはモンシロチョウと混ざっている。今日もだらっと準備をして、新宿南口に向かった。

デモには人生で初めて行った。昔全感覚祭に行って以来、絶大な信頼を置いているGEZAN及び、十三月主催の#NOWAR0305。大友良英さんが戦争と音楽は似ているかもしれない、根底にあるノイズというもの、普段は路上で大きな音を出す人のことが嫌いだ、嫌な人は耳を塞いでもらっても、トイレに行ってもらってもいい、でも今日はこれをやりにきましたというようなことを言って、耳が痛くなるような歪んだギターの音をかき鳴らしていた。その音は叫んでいるようにも泣いているようにも哀しんでいるようにも聴こえた。時間が過ぎるほどに多くの人が集まっていて、コロナのせいで声は出せないが、一つのステージを観ながら立つ人々から醸し出されている空気感にエネルギーが宿っている気がした。同時に自分がただの傍観者であるようなもやもやした感覚があり、傍観者で終わらせないように私の小さな生活圏に話を持ち寄ることから始めてみようと思う。

次に入るお店がなかなか決まらなくて一旦頭を冷やそうとSPBSに入ると、頭と心が静かになった感覚があった。今日もMのあらゆる悩み事を聞いて、自分を知ることから始めるとよいのではと言った。Mは自分のロジックに引き寄せるから話すことを止めてしまうときがあるよとも。どれだけ食べても飲んでもまだまだいける気がする日で、帰りに買ったポテチをほとんど1人で食べ切った。

20220304

こないだAに俊平さんは偽善者だと言われたことがずっと残っていて、気にしていないのに気にしているという状態が続いていた。Aは断定的な物言いをし、自他を明確に切り分ける傾向がある。ようやく気にしないための言語化ができて、それは文脈のない言葉は受け取らなくていいということ。いくつかの点を集めれば偽善者の私を作ることもできるし、もっと色んな点を集めたら根っからの善人を作ることもできる。でも私が私のことを一番よく知っていて、私のプロフェッショナルは私なので、どう解釈されようが、捉えられようが気にすることはない。まだまだ私は自己理解と、自己愛を深めている途上なので、他者からのジャッジを気にしてしまうときがあるけれど、そんなジャッジは占いみたいなものだから、基本気にしないけど気にしたいときに気にするぐらいでいきたい。

疲れが溜まっていたのか夕方ぐらいからほぼ集中できてなくて19時を待って会社を出た。ZINEを作ろうと声をかけていたHと下北で待ち合わせて、まぼねんで飲んだ。思っていた通りバイブスがばっちり合っていて、頭の中のイメージをすり合わせながらたくさんの共通理解を生み出した。話したいことが一気に3つ思い浮かんで、ええっとええっとと溢れ出す言葉を整理しながら話した。どんな名前のZINEにしようかという話でproudというワードが出て、I'm proud of you.という表現は日本語ではあまりないけれど、めっちゃ大事でめっちゃいいなと盛り上がった。私はあなたのことを誇りに思うよっていう感覚めっちゃいい。私たちが心地いいと感じることや、好きな人ってどんな人?と話しながらフィットする言葉を探すという時間がとても楽しかった。またすぐ話そうねと別れて、終電間近の電車に乗って渋谷に帰った。ZINEは私たちをどこに連れていってくれるのだろうか。楽しみだ。

20220303

自分で言うのもあれだけどのあれは何なんだろう。まああれがあれでああだからあれなんだろう。まあこんなこと考えてもあれだからいいや。ひな祭りらしいがひな祭り感は一切なかった。バレンタインのときもバレンタイン感は一切なかったことを思い出して、生活圏によって日に定められているイベントの受け取り方も違うよなと至極当たり前のことを思った。

昨日から引き続き仕事が多くて、集中できなくなって22時ごろに会社を出た。家に帰っても脳がずっと仕事モードだから余暇を有意義に過ごせない。写真フォルダを見返していたら、Tの結婚をサプライズでお祝いしたときに、会場に着く前に食べた安いラーメン屋での写真が出てきて、一瞬でそのときの気持ちに引き戻された。あのとき食べた味の薄いラーメンはこれまで食べたラーメンで一番美味しかった。あの頃の私が見た景色や抱いた感情の多くは忘れてしまっていて、でも写真は一目見ただけでそのときに連れて行ってくれる。忘れたくないと思っていても忘れてしまっている多くのことがあり、忘れたくても忘れられないことを抱えながら生きている。脳みそは都合のいいようで都合のわるい仕組みで出来ている。

脳の切り替えがうまくいかないときは写真フォルダを見返すことと、大好きな映画の大好きなシーンを見返す。ウォールフラワー、ジョーカー、マリッジストーリー、call me by your name。結局アイアンマン3の続きを観て、ようやく眠気を獲得し目を閉じた。

20220302

仕事しごとシゴト。MTGが続いて作業時間が取れず定時後も潔く仕事にに向かっていたら、同じく絶賛残業中のWとエレベーター前で遭遇し飯を買いに出た。コンビニに並ぶたくさんの種類のお弁当を目の前にしても食べたいと思うものが一切なく、だめだ、ラーメン食いに行こうということになり、家系ラーメンをお腹に入れにいった。仕事に戻り、23時前ぐらいにそろそろ帰ろうと言ったが大体そこから30分はかかるというのがいつものくだり。会社を出て、コンビニでビールを一本買って飲んだ。ばらばらと色んなことを話しながら、月プラス3万でいいから欲しいよな、副業しようぜ、でもどうせめんどくさくなってやらねえよな、帰るかとストリートにため息を置いて帰った。ため息を置いてきたので気持ちは軽く、熱い風呂に入って髪を乾かして寝た。

20220301

喫煙所でイライラをぶちまけている人がいた。とにかくイライラしていて、聞いている側は特に相槌を打っている様子もないのに、ただひたすらぶちまけていた。言葉や声のトーンがやけに耳に入ってきて、イライラが伝染してしまって耳を塞ぎたくなった。ネガティブなことを口に出すことの弊害。

 

一度オンラインで話したことのある学生が最終面接を受けるために会社に来たのでアテンドをした。結果彼女は落ちてしまい、電話で連絡をすると声のトーンからショックを受けていることが伝わって、もらいショックをした。オンラインだけでの接触だったらここまで共感しなかったかもしれないと思い、私たちは日々人と接する中で言葉以外の多くのことをやり取りしているのだろうと抽象化して起きたことを取り入れた。

 

夜は一つ下の同僚2人と大社長で西麻布のイタリアンに連れて行ってもらった。初めてフィンガーボールを見たが、使い方がわからず触れなかった。入っている水の色がちょっと茶色で何の色なんやろうと思った。2人が抱えていた不安がうまい具合にシェアされて、よい話しができたのでスッキリした感覚があった。帰りのタクシーでしみじみという流れだったが、それぞれの携帯に多くのチャットが来ていて、仕事モードに瞬時に切り替わりほぼ無言だった。こういう場のセッティング力というか調整力がうまくプラスに働いた実感があり、これは私の超能力の一つだなと思い、しめしめという気持ちだった。